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 座衆 


勧請当時から氏子のなかに「座衆」と云う組織があって、社寺の祭典を取りしきってきた。代々血脈を重んじ、男子相続と決められ、男子がない家は「座株」を失う習わしになって今日に至っている。
記録によると正月8日が伝統の祭典日であったが、現在では毎年正月3日に祭典を奉仕している。お社は、別宮であるが祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)足仲彦命(たらしなかつひこのみこと) 息長足姫命(おきながたらひめのみこと)の三神が祭られている。
祭事後、座衆は東座と西座に別れて(加賀田川を境に)着座し、特別に作った鏡餅(三重ね)を転がして、ゴン杖(60cmのうるしの木)で叩いて相手方に転がす特別の行事がある。座衆の記録は、慶安元年(1648年)からあり、座株のある家柄の男の子は17歳になると烏帽子(えぼし)を着用し、官途名(公式の名・・・たとえば・・・兵衛、など)に改名して、座衆立会いの上 座入りする習わしと記録されている。又、当村庄屋 肝煎(きもいり)を勤めるのは座衆に限るとされていた。




誉田別命(ほんだわけのみこと 應神天皇)


「座衆」の祭典と祭事後、座衆は東座と西座に別れて(加賀田川を境に)着座し、特別に作った
鏡餅(三重ね)を転がして、ゴン杖(60cmのうるしの木)で叩いて相手方に転がす特別の行事の様子







左より息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと 神功皇后誉田別命(ほんだわけのみこと 応神天皇足仲彦命(たらしなかつひこのみこと 仲哀天皇


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